百螺祈願


Home更新履歴写真

企画説明
【企画説明①】  初日:平成28年11月7日(月)

場所:熊本城/加藤神社 熊本城主・加藤清正公は、今から約400年前の慶長年間に熊本城を築城されます。その築城に際し清正公は、龍蔵院という山伏を招き、地鎮祈祷の法要を営んでおられます。この史実から、この祈りを現代に再現できないかと思い至ったのが今回の企画です。

醍醐派の青年僧侶約百名を、清正公を主祭神とする加藤神社に集結させ、 今回の地震で傷ついた熊本を鎮める地鎮祈祷を行います。さらには、山伏百名による百丁の法螺貝を清正公に奉納し、一日も早い熊本および熊本城の復興の祈りを届けるものでございます。

その際、醍醐派熊本宗務所本蔵院を出発地として、熊本市街地を法螺貝をたてながら練行し、約1時間かけて熊本城内加藤神社へ向かいます。

【企画説明②】 2日目:平成28年11月8日(火)

場 所:阿蘇神社 阿蘇の信仰は、阿蘇山火口をご神体としています。その昔、阿蘇では阿蘇谷に鎮座する阿蘇宮(現在の阿蘇神社)と、阿蘇山上の坊中(山岳修験勢力)という 二つの宗教拠点を持っていました。そのうち坊中と呼ばれる僧侶や山伏の坊舎は、現在の草千里付近に甍を並べていたとされます。

一説には、天竺からやってきた最栄という僧侶が火口近くで十一面観世音菩薩を感得師、それを祀ったのが起こりといわれています。昔、阿蘇にはいつも山伏の法螺の音が轟いていたに違いありません。私はこの歴史的背景をふまえ、もう一度この修験の山に法螺の音を響かせ、阿蘇の神々に 祈りを捧げるべきだと考えました。そこで阿蘇神社様へお願いをし、祈念法要を厳修させていただくことになりました。これもまた時代を超えた阿蘇の本来の姿 を再現するものでございます。

当日は、阿蘇の始まりと言われいる国造神社から阿蘇神社に向けて練行いたします。国造神社と阿蘇神社、さらに阿蘇火口を結ぶと一直線に結ぶ事が出来ます。これこそが、火口を信仰対象としていた証であり、阿蘇神社の参道が縦ではなく横参道になっているのもこのためです。国造神社から阿蘇神社に向かう道はすっと伸びた一本道。正面に阿蘇火口五岳、いわゆる阿蘇釈迦涅槃像を望みながら法螺の音をたてます。

【企画説明③】

総本山醍醐寺は、応仁・文明の乱で荒廃した際、豊臣秀吉の後援を受け再興した、秀吉ゆかりのお寺です。晩年、秀吉は醍醐寺にて「醍醐の花見」を行っています。このとき秀吉は、畿内や奈良吉野の桜七百本を醍醐寺に移植させ、その桜を醍醐山の上から眺めたとされています。醍醐寺にはいまでも、秀吉が花見を行った桜の子孫であるクローン桜が植えられています。

熊本城主加藤清正公は、豊臣秀吉公の家臣であり、生涯豊臣家への忠義を尽くされた方です。今回この桜を、秀吉から清正への贈り物として加藤神社と阿蘇神社にて植樹させていただくことになりました。時代を超えて、熊本復興の新たなシンボルとしてこの地に秀吉の桜が咲くことになります。

◎醍醐寺のクローン桜◎
醍醐寺には「醍醐の花見」で秀吉が眺めたとされる桜の子孫である、樹齢150年のしだれ桜が残されています。枝いっぱいに花を咲かせ、多くの参拝者の目をなごませます。このしだれ桜を住友林業株式会社および住友林業緑化株式会社がバイオ技術で増殖し、同じ遺伝子を持つ桜として生まれたのが今回植樹する「クローン桜」です。